信州お薦めスポット #16

海と山の命を繋いだ、縄文からの道を辿る旅〜Part1〜

秋葉信仰が広まる前から存在していた古い道。
遥か昔は黒曜石や塩を交易した遠信古道。柳田国男は東国古道記で「我々から言うならば寧ろ諏訪路とも、遠山通りとも呼んでみたい」と・・・。 今年最高の寒波がもたらした寒気は一カ月早いという師走の寒気。ロマンに魅せられて、街道の旅は稲葉街道へと思いを馳せる。

【縄文時代からの塩の道】
古代人は、遥か太平洋でとれる塩を求めて、主に諏訪湖の北の和田峠で採取される黒耀石と交易をしました。黒曜石は本州のいたる所で発掘がされ「星のかけら」と呼ばれやじりやナイフなどに使われ生活の必需品でした。 海のない信州に持ち込まれる塩は、日本海からの「北塩」と、太平洋からの「南塩」がありました。南塩ルートの主なものには、遠州からの遠信古道(のちの秋葉街道)と、三河からの中馬(ちゅうま)街道の二つがあります。中馬街道の成立が戦国時代以降であるのに対して、遠信古道の誕生は古く先史時代にさかのぼります。

【塩の道で運ばれた塩は藻塩】
日本で塩が使われるようになったのは、古くは縄文時代末期頃。海水のついた海藻を燃やしてそのまま塩として使う方法だと言われています。その後、飛鳥時代に日本独自の「藻塩焼き」が作られるようになりました。薄い茶色で磯の香りがします。

【南朝皇子の戦いの道】
宗良親王は後醍醐天皇の第五皇子でした。親王は比叡山の最高位である天台座主でしたが、父天皇と足利尊氏とが対立するに及んで還俗し、征東大将軍として各地を転戦しました。一時は遠州井伊谷に身をおきましたが、興国五年(1344)に赤石岳の麓信州大河原(現大鹿村)に入り、以後37年間、この地を拠点としました。
当時の遠信古道沿線は、南朝方の豪族が勢力を保っていました。信州の諏訪氏・香坂氏、遠州の奥山氏・天野氏・井伊氏などです。諸氏の狭間に位置した遠山氏が南北どちらに味方していたかは明らかでありませんが、おそらくは近隣の香坂氏や奥山氏と連携していたとされています。

南に富士、北に高を満喫の塩尻峠・・・

登山かも?街道最大難所の和田峠越え

笠を取り、常に浅間を眺望